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		<title>幕末のヒーロー坂本龍馬のイロハ</title>
		<link>http://300world.com/ryouma/</link>
		<description>坂本龍馬は幕末における我が国の政治家・実業家と言った立場の人間で、土佐藩を脱藩した後に有名な「海援隊」を結成しています。</description>
		<language>ja</language>
		<pubDate>Mon, 1 Jan 1 00:00:00 +0900</pubDate>
		<lastBuildDate>Tue, 1 Jun 2010 22:02:30 +0900</lastBuildDate>
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			<title>五色石</title>
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			<description><![CDATA[
高知県の桂浜は、坂本龍馬が幼少期によく遊んだとされている場所です。また多くの龍馬伝のなかでは、桂浜に立つ龍馬が、遠く海のはての外国におもいを馳せると言う場面が描かれています。その桂浜は、弓状の砂浜の海岸ですが、昔の桂浜には、「五色石」といわれる玉石が沢山あったそうですよ。五色石と言うのは、その名前の如く五色の色をした石です。一つの石が五色になっているのでは御座いません。赤・緑・グレー・白・黒と、色の異なった五種類の石の事です。異なる色を持った岩石は、個々別々四国山脈の間を流れる仁淀川の上流から海へと運ばれる途中で削られ、丸くなっていきます。その石たちが、波によって浜辺へ打ち上げられたものが五色石となります。赤色は玄武岩が赤色に変わったもの、緑色はぎょう灰岩といわれる火山灰がかたまったもの、グレーは砂岩、白色は白濁したチャートや石英脈、其れから黒色は黒色頁岩と言う岩石の持つ色です。昔は、桂浜に来た記念にと、五色石を拾って帰る観光客が多かったそうですが、今の桂浜には五色石は殆ど見られなくなってしまいました。仁淀川の上流に建設されたダムや、護岸工事、テトラポットの大量設置による徴収の変化等の影響で少なくなったとされていますが、龍馬伝が知れるとともに、龍馬ゆかりの桂浜を訪れる人の数が増えた事によって持ち帰られる石も増えた事が要因とも言われています。今では、お土産屋さんで袋詰めの五色石を購入する事が出来ます。関連ニュースこよなく和酒を楽しむお店	
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			<pubDate>Tue, 1 Jun 2010 21:50:48 +0900</pubDate>
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			<title>土佐弁</title>
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			<description><![CDATA[
大河ドラマ「龍馬伝」では、土佐弁が使われています。土佐弁は、古い時代の西日本方言の特徴が強く、関西弁に近いと言われてもいますが、独特な言い回しも多く、「龍馬伝」で龍馬を演じておられる福山雅治さんも、「土佐弁は難しい」と話されています。土佐弁は、語尾に使用する言葉に特徴があるようです。状態を表す「～ている」は「～ちゅう」で、「行っちゅう」や「知っちゅう」等となります。疑問文には「～が？」がつきます。ドラマや映画でデビュー する土佐弁は、「～ぜよ」と言う言葉が使われる事が多いですが、実際には、現在はあまり使われておらず、明治・大正生まれの高齢者に限られるそうですよ。土佐弁のデビュー する作品は、其れだけでもイメージに残るものが多いようにおもいます。アニメ「海がきこえる」は、氷室冴子原作の小説を、1993年にスタジオジブリがアニメ化した作品です。だいたい全編にわたり、土佐弁が話されています。1995年にはテレビドラマ化もされ、今でも高知や東京のロケ地を巡る熱心なファンらがいるそうですよ。ドラマ「スケバン刑事」では、主人公・麻宮サキの使う決めゼリフ「おまんら、許さんぜよ」等の土佐弁が有名となりました。1982年公開の映画「鬼龍院花子の生涯」での、夏目雅子さんの「なめたらいかんぜよ」と言うセリフも有名です。この映画は、高知を舞台に、大正・昭和の侠客鬼龍院政五郎と、その娘花子の波乱万丈の生涯を描いたもので、監督・五社英雄の最高傑作とも言われています。宮尾登美子の小説が原作ですが、このセリフは原作には御座いません。関連ニュースこよなく和酒を楽しむお店	
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			<pubDate>Tue, 1 Jun 2010 21:50:37 +0900</pubDate>
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			<title>「日本ではじめて」の事</title>
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			<description><![CDATA[
多くの龍馬伝のなかで「時代の先を行く人物」とされている龍馬です。その元となる逸話をご紹介しましょう。◆日本初の会社設立1865年（慶応元年）、勝海舟の紹介で薩摩藩のバックアップを得、長崎・亀山の地に貿易結社「亀山社中」を設立し、長崎のグラバー商会と取引を開始してきました。貿易と、航海の技術の習得を目的としていましたが、亀山社中の最大の目的は薩長の関係修復の仲介とか、倒幕の為の活動でした。その後、龍馬の脱藩が許されると、土佐藩の外郭機関となり「海援隊」と改称され、龍馬は隊長となります。亀山社中は、日本ではじめての会社組織といわれています。メンバーは脱藩浪人が殆どでしたが、制服の白い袴から「亀山の白袴」と呼ばれ、長崎では周囲に受け入れられていたとされています。◆日本初のハネムーン1867年（慶応2年）1月に京都の寺田屋で襲われた龍馬は、寺田屋の養女おりょうの機転で、命を落とす事なく脱出にご成功してきました。其れから、その後結婚したおりょうとともに、薩摩藩に保護されます。このとき負傷した傷を癒す為に、西郷隆盛らの勧めで鹿児島県の霧島周辺へと、おりょうを伴って療養に向かう事になります。滞在中は、霧島登山等をおりょうと楽しんでいた事が、龍馬の姉・乙女への手紙からもうかがう事が出来ます。療養の為の滞在ではありましたが、新婚だった事と、その楽しそうな様子から、この旅行が日本ではじめてのハネムーンと言われるようになりました。大河ドラマ「龍馬伝」では、真木よう子さんがおりょうを演じています。関連ニュースこよなく和酒を楽しむお店	
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			<pubDate>Tue, 1 Jun 2010 21:50:13 +0900</pubDate>
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			<title>グラバー商会</title>
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			<description><![CDATA[
長崎の観光名所の一つにグラバー園があります。園内には、スコットランドから幕末の日本に来たトーマス・ブレーク・グラバー氏が、1863年に建てた邸宅のほか、リンガー邸、オルト邸、ウォーカー邸と言う当時の洋館が移築されています。トーマス・ブレーク・グラバー氏は、幕末の長崎に「グラバー商会」を設立し、貿易業を営んでいました。坂本龍馬の亀山社中とも取引があり、亀山社中がグラバー商会から薩摩藩名義で買い付け、長州藩へ斡旋したゲベール銃3,000挺、ミニエール銃4,300挺が、薩長和解のはじめの契機となったとされています。2000年代になり、トーマス・グラバー氏が秘密結社フリーメイソンのメンバーであったとする説が浮上してきました。彼の興したグラバー商会は、アヘン戦争を推進した英国の「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店であり、彼の肩書きは「マセソン商会・長崎代理人」でした。龍馬は、亀山社中の創設等にかんしても、グラバー氏の影響を強く受けていたとされている事から、当時の東洋最大手の英国武器商会の営業マンのような存在であったのでないかと言う主張もあり、三段論法式に龍馬とフリーメイソンを結びつける説もあらわれています。グラバー園内のグラバー邸には、フリーメイソンのマークをあしらった石柱がある事から、より真実味を帯びる事になっていますが、この石柱は1966年に寄贈、移築されたものだそうですよ。龍馬伝においてグラバー商会は切り離せない存在ですが、大河ドラマ「龍馬伝」では、その関係が一体どのように描かれるのでしょうか。関連ニュースこよなく和酒を楽しむお店	
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			<pubDate>Tue, 1 Jun 2010 21:49:55 +0900</pubDate>
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			<title>土佐藩階級</title>
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			<description><![CDATA[
江戸時代、武士の身分にも階級がありました。そのなかでも、坂本龍馬のいた土佐藩は、ほかの藩に比べ階級制度が厳格で、徹底した差別化が260年間も続けられていました。関ケ原の戦いの後、掛川（静岡県）から山内一豊とともに引き連れられた武士たちは「上士」と呼ばれ優遇されましたが、旧領主である長宗我部家の遺臣たちは一領具足の層のものが多く、郷士と言う「下士」として、農作業をしながら戦時に備える下級武士として扱われました。同じ土佐藩の藩士でありながら、上士と下士は、潜在的に対立関係にあったとされています。幕末の動乱期に、土佐藩に坂本龍馬等の変革の志士を輩出した理由は、そこにあるとかんがえられています。上士と下士と言う身分の違いから受ける差別への、蓄積した「怨念」が、幕末時において沸点に達したと言うわけです。大河ドラマ「龍馬伝」第一回のタイトルは、「上士と下士」です。郷士の身分であった坂本龍馬や岩崎弥太郎の、幼い頃のおもい出や成長してからのエピソードのなかで、その身分階級の理不尽さを描いています。「龍馬伝」のなかで、福山雅治演じる龍馬がこういっています。「下士も上士も、のうなるがじゃ。」そういう世のなかにしたいと願いつつ、その方法はいまだに見出せてはいないでしょう。しかし、ケンカ（暴力）では変える事が出来ないと言う事だけはわかっている。と、龍馬は続けます。これは、亡き母・幸の言葉でもありました。その母は、昔幼い龍馬が上士を怒らせ無礼討ちにされそうになった際、決死の決意で上士を止めに入った人です。関連ニュースこよなく和酒を楽しむお店	
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			<pubDate>Tue, 1 Jun 2010 21:49:42 +0900</pubDate>
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